楽しさは自分でつくるもの『創るセンス 工作の思考』
2017/09/16
近頃世間では、物を作る機会がめっきり減っている。自分の欲しいもの(それに近いもの)がたいてい商品として売っているからだ。加えて技術が高度化しているから作ろうにも作れないという理由もある。例えば携帯電話を自作するのはとても難しい。そんな状況はちょっとやばいんじゃないの?というのが『創るセンス 工作の思考/森博嗣/集英社新書』だ。はうんうん、そうそう、うなずき通しで読み終えた。私は、創るセンスも工作の思考も著者の1/100くらいしか持ち合わせていないが、氏の言いたいことはつかみ取れたと思う。
著者の結論は、「自分の手で物を作ろう」だ。手作りの温もりを大切にしよう、なーんて話では一切ない(そんなことを森博嗣が言うはずない)。物を作る、作り続けることでしか得られない感覚があるからだ。それはコツを掴むことであったり、時間の余裕が大事なことに気づくことであったり、臨機応変に対処できることであったり、ばらつきを理解することであったりする。
どんな物体であっても、計算どおりにものが出来上がることは奇跡だといって良い。
だからこそとことん考え柔軟に工夫する、コツが必要なのだ。逆に言えば、作るという経験がなければ、そんな大事な感覚が失われていく。
こんな感覚は、仕事として物を作る技術屋には必須なわけだが、そんな狭い範疇に留まらない。料理だってそうだろう。裁縫だってそうだ。拡大していけば、生きることに必要なのだ。要するに「人生を作る」ことに。自己啓発本を何冊読もうとあまり意味はない。感覚を骨身に沁みこませなければ。
「これはこうすれば良い」といったノウハウも、言葉にした瞬間に単純化される。単純化によって、人へ効率的に伝えることができ、大勢で情報を共有化できるけれど、その代わりに、本来持っていた情報の多くが欠落するのだ。
ナレッジだけでは陸な物は作れない。
さらにどんどん「作る」を突き詰めていくと「創る」になる。「創る」ことがわかると、「人間の凄さ」を感じ取れるようになる。それが「神」なのかもしれない。
大したことはできないけれど、工作は嫌いじゃない。さて、何を作ろうか。
最後に余談を二つ。
- 予告では、この初夏に「小説論」が出るようなので、それも心待ちにしている。
- 『自由を作る自在に生きる』のときにも書いたけれど、森先生、刺の先がぜったい丸くなってきた。