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低迷を許容してはいけない 『大前研一通信vol.188』

      2017/09/16

レビュープラスさんから献本いただきました。大前本は『パスファインダー』『BBT on DVD 大前研一ライブ』に続いて3度目。 いつもありがとうございます。

大前研一通信vol.188今回の『大前研一通信vol.188』は、「日本の真実PARTIII」と題して、主にnikkei BP net「「産業突然死」時代の人生論」 、週刊ポスト「ビジネス新大陸の歩き方」などですでに公開された記事を再録している。

大前氏の政治・経済論説をまとめ読みできるわけで、まずは氏の主張を整理してみた。全編を通して浮かび上がってくるキーワードの最初の一つは「憂国」だった。
氏は日本の何を憂いているのか?あらゆる分野における日本の凋落を憂いているのだ。
例えば、元首が誰なのかも自分の国をどのように守るのかも定めていない憲法であり、無知な政治家が選挙目当てにもてあそぶ税制であり、没落への道を突き進む財政であったりする。
また、垂直統合モデルに固執し縮み思考に染まった結果、韓国中国に圧倒される企業であり、外国の若者に見向きもされない大学である。
日本を「さぞかし食べやすい“骨なし国家”」になると称し、絶滅が危惧される“トキ”に例える。
「憂国」はすなわち「私たちの人生を憂う」ということだ。

これらの問題の原因は何か?そこで二つめのキーワードが登場する。「リーダー」だ。
上に示したような歯がゆい日本となったのは、リーダー不在に帰着すると大前氏は主張している。今の日本には組織を変える力を持った人材があらゆる分野でいない。指導者がいない国。それが今の日本なのだ。リーダー不在とは、本質的な問題解決ができないまま放置されるということ。
今の教育のままではリーダーの育成はできないと考え、それがビジネス・ブレークスルー大学へとつながっている。

以上、強引に内容をまとめてみた。さて、このような大前論に対して、「のんびりと、そこそこ豊かに暮らせばいいじゃないか。なにもそんなにガツガツしなくても」という考えもあるかもしれない。没落はいけないことなの?と。
それはおそらくいけないことなのである。資本主義の世界において、富は中心にしか集まらない。20世紀、日本は少なくとも極東の中心だった。だから豊かな生活を享受できた。しかし中心からはずれたとたん、富はみるみると減っていく。「そこそこ豊か」は楽観的な幻想なのだ。集まってくるポジションから吸い取られる立場へ。それに耐えられるのか、ということだと思う。

今の日本が一番やってはいけないのは、このまま低迷を許容することだ。

受け取り方は人それぞれだろうけれど、かつて大前研一ファンだった私には、大前節の叱咤激励がビシビシ伝わってくる一冊であった。

しかし、現実問題として、傑出したリーダーの登場を待っているわけにもいかない。どうすればよいのかは自分で考え行動しろということなのだろうけれど、最後にちょっとしたヒントが。それは「日本人の「セカンドライフ改革案」」なる提言。漠としたイメージではなく、そろそろ真面目に考えないとね。

 - 社会, 読書