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『劒岳〈点の記〉』新田次郎

      2017/09/16

前人未到の地という言葉には心踊らされる。

その一つ、弘法大師が草鞋三千足を費やしてもたどり着けなかったと伝えられる未踏峰、剱岳への登頂を成し遂げた男がいた。それも陸軍の官吏、測量官だというのだ。がぜん興味そそられるではないか。
その男の活躍を新田次郎が小説にした。1977年の『劒岳 点の記』である。

国土をくまなく計測する。明治時代、国家として不可欠なこの大事業が近代的な方法を用いて進められた。全国各地に三角点(三角測量によって求められた測地の基準となる点)を配置し、正確な測量をもとに高い精度の地図を作製する。その任にあたっていたのは参謀本部陸地測量部。着々と測量が進む中、最後の空白地帯が残された。越中剱岳である。

明治40年、陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎にその未踏峰、剱岳山頂への三角点設置、測量の命令が下った。その命には、剱岳制覇を狙う山岳会――民間人――との初登頂争いの意味も含まれていた。切り立った岩、嵐、雪崩などの厳しい自然ゆえ誰も登ったことのない剱岳、山岳信仰で登ってはいけない剱岳。柴崎は少ない予算の中、測夫の生田、木山、山案内人の宇治長次郎ら精鋭を集め、壮絶な困難と闘いながら山頂を目指す。厳しい自然、そして今とは比べものにならない未熟な登山装備など、幾多の困難と闘いながら山頂を目指す。もはや登山ではない。登攀。

小説なので結末を書くことは控える。

本作は山岳小説といっても冒険小説ではない。柴崎の任務はあくまでも測量なのである。命を投げ出すことではない。測量小説。ただそれが、あたかも戦地に赴くような覚悟を要する任務なのである。

新田の淡々と落ち着いた筆致はかえってリアル感を増す。そしてグッとくる。たとえばぼくが不覚にも涙をこぼしてしまったのは(年をとるにつれ涙が出やすくなってきた)、長次郎が彼らの登頂を快く思わない山岳信者から腐った卵を投げつけられた場面。相手に向かって怒鳴り散らすこともせず、まず柴崎の安否を気遣い、その後くやし泣きする。そしてこの件を誰にも言わぬよう柴崎に口止めし、怒りの形相でこう言ったのである。

「なにしろ、せまい村から村の続きですので、いろいろと面倒なことがございます。でもねえ旦那、なにがなんでも私は劒岳へ旦那方を案内して登ります。さっき臭いものを叩きつけられたとき、そう決めました」

全編を通して、柴崎を筆頭とする測量隊の、自分のできることは惜しまずやる、至誠を致す姿に心打たれずにはいられなかった。測量に全霊を打ち込んだ男たちの、そして柴崎の妻葉津よの物語を堪能した。

なお、2004年8月24日、柴崎測量官らの測量登頂100年を記念する行事の一環として剱岳山頂に三等三角点が設置された。あれから97年後のことである。

劒岳〈点の記〉/新田次郎/文春文庫
劒岳〈点の記〉 (文春文庫)

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