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これからに向けて 『災害がほんとうに襲った時』

      2017/09/16

大きな揺れが収まってしばらくすると、今回の地震がとてつもない規模であるという情報が入り始めた。恐ろしいことが起こったのだという感覚が徐々に固まってきたとき、真っ先に頭に浮かんだのが『1995年1月・神戸』という一冊の本だった。これは阪神淡路大震災の直後に出版され、震災時における神戸大学医学部附属病院の精神科医の方々の活動が克明に記録されたものだ。当時一度目を通してはいたが、書棚から引っ張り出してきて読みなおした(わが家は震度5弱の地域にあったが、本が棚から飛び出すことすらなく被害は皆無だった)。これからの事態を予測するのに役立つと思ったからだ。神戸の様子、これから東北で起こるであろう状況を、知識としてではあるが得ることができた。そして拙ブログで『1995年…』を紹介したいと思いつつ、なかなか書けなかった。いざ書こうとするとどうも気が重かったし、本を紹介してる場合かと気が引けた。この本がすでに絶版になっていることも一因だった。

そんな折、その一部が新たに編集刊行され、「本が好き!」さんを通じて読ませていただける機会を得た。それが『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録/中井久夫/みすず書房』である。貴重な本を紹介するきっかけもいただいたことになった。これまで何を躊躇していたのかと、動かなかった自分が情けなくもなったのだが。

本書は、阪神淡路大震災を中で経験された精神科医、中井氏の手記である。その冷静な記録は貴重で示唆に富んでいる。ここでは特に頭に留めておきたい箇所を紹介しようと思う。なお、本書はwebでも閲覧することができる。
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/

非常時に私たちはなにをすればよいのだろうか。この問いに正解はない。というより、この問い自体が愚問のようだ。

有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。…… おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。

厳しくも現実的な言葉だ。「何をすればよいですか?」と尋ねるような人にはなにもできないということ。

災害に遭われ苦しんでいる方々にとって、花がたいそう喜ばれるそうだ。言われてみればなるほどと気付かされるが、とっさに(特に男は)思いつかない。

黄色を主体とするチューリップなどの花々は19箇所の一般科ナース・ステーション前に漏れなくくばられ、患者にもナースにも好評であった。暖房のない病棟を物理的にあたためることは誰にもできない相談である。花は心理的にあたためる工夫の一つであった。

本書はその記録自体が貴重だ。著者ご本人も記録の大切さを強調されている。神戸の際も今回の東北と同じく、犯罪など(人間集団の「液状化」と称されている)が発生しなかった。著者にとって、そのことを記録しておくことも使命なのだ。後々あらぬことを書き出す者を予想してのことだそうだ。

こうやって見てみると、以上のことはなにも災害時に限ったことではない。普段からなすべきことを当たり前のように実行することが、より純粋に求められているのだと感じる。

さて、本書の最後はこのように締めくくられている。

夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂を風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかだった。「終わったという幹事が流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「四、五〇日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。

3.11から数えて50日になろうとしてる。ちょうどこの時期にあたる。これまでにエネルギーを使い切った方々は、一旦身体も精神も休ませた方がよさそうだ。これからの長い道のりをしっかり進んでいくために。そしてエネルギーがまだまだある人の出番である。

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録/中井久夫/みすず書房
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

 - 社会, 読書