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珠玉の金言集『走る哲学』

      2017/09/16

走る哲学 / 為末大 / 扶桑社新書
走る哲学 (扶桑社新書)

感服の一冊。なにから書こうか。

まず表紙がすごい。為末さんのアップの顔写真がドーン。といってもこれ自体がすごいわけじゃない。読み始める前この本を手にとったときは、精悍なアスリートの顔だなと思ったわけ。プロの400mハードラーだったのだからあたりまえですね。ところがです。読み終えてフッとため息をつき、改めて表紙を見るとあら不思議、哲学者の顔に見えるじゃないですか(哲学者の顔ってどんな顔なのかはさておいて)。それほどこの本は思考の変換を促すものが詰まっていたということだが、読前読後で変化する、こんなにすごい表紙に始めて出会った。

本書はツイッターでのつぶやきをまとめ、編集したもの。だから読む前は、それって安直じゃね、とか、所詮つぶやきだろ、くらいの軽ーい気持ちだった。ところがページをくり始めるやいなや、それがまったくの誤解であったことにお詫びすることになる。そんじょそこらのツイートじゃない。一つひとつが粒がそろっていて、核心をついた発言が次から次へと飛び出してくる。ピタッと140字で言い表す技術、これもすごい。なんと洞察と主張とがカチッと無駄なく表現されたフレーズであることか。そんなツイートをたばねて本になる、それもどっしりとした一冊になっている。今回、続けざまに二度読みなのである。一度目は一気呵成に読み飛ばしていった。どのページからも為末大の思索が渾々と湧きあがっていた。二度目はじっくりと。一言一言よく噛みなながら読んだ。

ようやく内容に辿り着いた。が、中身は読んでもらったほうが早いし、的確だし、無駄がない。人生の送り方を様々な角度から問うている。そのエッセンスを乱暴に掬えば、「自分をよくよく観察すること」と「勇気をもつこと」だろう。ここで「勇気」とは、裏切る勇気、無視する勇気、嫌われる勇気、そして本来の自分でいる勇気、である。
もう一つ胸にグッとくる言葉がある。
最近特にマイブームの単語があって、それは「夢中」。一心不乱とか、没頭とかいうニュアンス。何かに取り組むときの理想的な姿勢とはどんなものだろうかと思いめぐらして辿り着いた単語。本書の中にこの「夢中」が何度も出てくる。たとえば、

何かを達成したアスリートの足跡を見て、それが努力の集積に見えてしまいがちだが、ほとんどの場合それらは夢中の結果である。だから努力は本質ではない。努力は夢中の副産物。

繰り返すけど、全編沁みてくる言葉だった。どれがいいなんてものじゃない。どれもこれもこれこそ珠玉という言葉にふさわしい。それでも敢えて釘づけになったフレーズを一つ、最後に挙げておく。言葉の意味を間違えていたことを教えてくれた目的とは何かにつての超名言。

何かができるようになれば次の目標が現れ、続ける以上、常になんかできていないものに挑む状態にある。元来「道」とはそういうものだった。できるからやるのではなく、挑む状態を作るために何かを目指した。山頂は目的ではなく手段。目的は登山。

 

くどくど言い過ぎた。一度開いてみて欲しい、それだけ。そして為末大畏るべし。

 - 社会, 読書