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丸山真男『日本の思想』は革命の書である

      2017/09/16

【問題】丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)で著者が主張したいことを10字以内で述べよ。

なんとも乱暴な設問だが答えてみるか。

【解答例】日本を革命しようぜ!

「日本の思想」「近代日本の思想と文学」「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」の四つの論文が一つに収められた『日本の思想』、ここから日本の思想の特質、特に弱点を読み取っただけなら、それはあまりにも残念だ。確かにここには「座標軸となる思想的伝統がない」とか「社会や文化が「ササラ型」であるとか、日本思想の欠点(と丸山が考えている点)が論考されている。でもね、丸山が、「ここがダメだよ日本人」みたいな自虐話を語るはずはないではないか。そんなのは文化人もどきにまかせておけばよい。

本書の目的は日本の思想史を考察することではない。それは結論を導く土台、スタート地点にすぎない。なんのための土台か。丸山の目的地は、日本には革命が必要だということだ。それははっきりと明言されている。

(強靭な自己制御力を具した)主体を私達がうみだすことが、とりもなおさず私達の「革命」の課題である。(『日本の思想』)

となると、次に丸山が目指す革命、すなわち生み出すべき強靭な自己制御力を具した主体とは何か。それはひとことで言うとラディカリズム、

「人間を歴史的命運の道具とみなさず、社会の自由な創造者とみること」すなわち、「人間が自分自身をも、また自分の社会をも希望のままに処理する力があるという観念」

なのである。別の言い方では、

現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないかと。

裏を返せば、日本の思想、日本人は、自分たちの社会をありたいように作れていない、エセ民主主義に安住しているということ。これじゃイカン。それを革命する。思想の座標軸を持ち、日本に沈殿している豊富な思想ストックを構造化し、新しい雑種になるために行動しなければならない。それが本書の訴えである。

ところで、「「である」ことと「する」こと」は、高校の現代文の教科書に抜粋が採用されていて、最近の高校生なら目にしたことがあるかもしれない。明治書院の『精選現代文B』を見てみると、ところがこの肝心な部分が省かれているのである。量の点から全文を載せられないとしても、核心を省くとはなにごとか。丸山の主張を全く伝えていないではないか。トホホなのである。

さて、本書の刊行は1961年、60年近く経っても革命は起こっていない。書かれている指摘にはことごとく思い当たる節があって、状況は今でもまったく変わらない。多くの日本人は革命などどこ吹く風と満足なのだろうか。それともさらなる日本のホッブズ、ルソーが必要なのだろうか。

ちなみに、『社会契約論』からフランス革命の端緒まで25年である。

日本の思想/丸山真男/岩波新書
日本の思想 (岩波新書)

 - 社会, 読書