すぐびん

山歩き、読書や工作、おじさんの遊んでいる様子

検索

地球の大きさを測る

      2017/05/03

「地球の大きさ(地球1周の距離)はどれくらい?」と訊かれたら待ってましたと答えてあげよう。40000キロメートルだよと。

ゼロが並ぶえらくシンプルな数字。しかしなんでこんなにきれいな数字なのか?実は上の問い方が逆さまなのだ。どういうことかというと、北極点から赤道までの子午線弧長の1千万分の1、――地球全周の4千万分の1――を1メートルと呼ぶことにした。すなわち、地球の大きさが4千万メートルというより、1メートルが地球の周囲の4千万分の1なのだ。そう決めたのだ。

時は1790年代、革命巻き起こるフランスで、「自然を標準とした永遠に世界で用いられる新しい単位系を作ろうぜ」という理念のもと、科学アカデミー――ピエール=シモン・ラプラス、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエら当時の科学界をリードするそうそうたる面々――が決めた。長さの単位を地球の大きさを基準にするところに自然を探求する科学者の心意気を感じる。それまでの長さの単位といえば自分たちの体が基準だったからね。足や手の大きさとか肘から腕の長さとか。彼らが考え出したメートルはまさに自然から導かれる普遍の単位だった。だから21世紀の今でも国際単位系として使われている。ということで、1メートルを決めるためには地球の大きさを測らなければいけなくなった。

地球の大きさを測るというと、真っ先に登場するのはエラトステネスだ1)。紀元前276年頃、アレキサンドリアの図書館長だったエラトステネスは、エジプト南部の町シエネでは毎年夏至の日、正午になると、太陽が井戸の真上から差し込み、井戸の奥まで明るく照らすことを知った。シエネでは、ちょうどその日そのとき太陽がまっすぐ真上に来ているということだ。シエネのほぼ真北数百キロメートルにあるアレキサンドリアでは、そんなことは決して起こらない。太陽光線がシエネの井戸を底まで照らすとき、エラトステネスはアレキサンドリアで棒を地面に突き立て、太陽光線と棒とがなす角度を測った。この角度はアレキサンドリアとシエネから地球の中心に向かって引いた二つの半径がなす角度に等しい。「平行線の錯角は相等しい」ってやつだ。角度を測定したところ7.2度だった。シエネとアレキサンドリアとを結ぶ距離は地球の周囲の長さの7.2/360、すなわち50分の1だということになる。これら二つの町の距離を測ったところ、5000スタディオンであった。よって地球の周囲の長さは25万スタディオンだとわかった。ここで、1スタディオンが何メートルかには二説あって185メートルと157メートル。前者なら推定値は46250キロメートル、後者なら39250キロメートル!恐るべき精度ではないか。

話は戻って、1790年代フランス。メートルを決めるため、さあ地球を測ろうとスペインのバルセロナからフランスのダンケルクまでの長さを測量することになった(バルセロナとダンケルクとはほぼ同じ経度、シエネとアレキサンドリア同様これ大事)。その大役を任されたのは二人の天文学者、ジャン・バティスト・ジョゼフ・メシェンとピエール・フランソワ・アンドレ・ドゥランブル2)。二人は南北手分けしてダンケルクからバルセロナまでの距離1075kmを7年かけて精密に測量した。終えたのは1799年のこと。測定方法は三角測量。

この結果を元に、科学アカデミーは北極点から赤道までの子午線弧長を求め、1千万分の1にして、これが1メートルだぞ!と言って、プラチナでメートル原器(1メートルの長さを示す旧標準器、曲がりを防ぐためX字形の断面をした棒)を作っちゃった。1メートルの誕生である。Congratulations!

地球の大きさ、周長は4千万メートルに決まってるとはじめに書いたけれど、最新の測定値は40008km。これは人工衛星を使って測った値。メシェンとドゥランブルの測った地球の大きさは驚くべき精度だったのである。たった0.02%の差。ちなみに赤道長は40075km。ほんの少しだけ地球は南北につぶれている。

<参考文献>
1) サイモン・シン(青木薫 訳), 宇宙創成, 新潮社, 2009 【すぐびんの記事はこちら→
2) ケン・オールダー(吉田三知世 訳), 万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測, 早川書房 【すぐびんの記事はこちら→

 - 測る