目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている 『海辺のカフカ』
2017/09/16
初めて読んだ村上春樹が『海辺のカフカ/村上春樹/新潮文庫』である。
村上春樹に関しては、すでに数多の愛読者、研究家たちが様々な意見を持ち議論されているわけで、今更のこのこ出る幕もないわけだが、春樹ビギナーとして感じたことを披露するのもまあご愛嬌かと思う。
食わず嫌い
歳をとってからでも食わず嫌いが解消することがあるようだ。今回の村上春樹がそれ。長年敬遠してきたにもかかわらず、ふとしたはずみでてにしたら、すっかりはまってしまった。
目盛りが一段階あがる
私自身この本を読みながら何か解釈をしたかというとそこまでは読み込んでおらず、ただただ作品世界を彷徨ったに過ぎない。しかし一つ言えることは、少しだけ自分が変化したのではなかろうかということだ。偶然にも本作中にその感覚を表現した記述がある。大島さんの言葉だ。
何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。
まさにこの感じ。星野さんはナカタさんを通じて新しい世界が広がった。私はナカタさんと星野さんとを通じてほんのわずかだけれど世界が広がった。
少し時間間隔をあけて
立て続けに村上春樹を手に取ろうとは今のところ思わない。読むのに疲れるからだ。それに『海辺のカフカ』を読んでしまった後でそれ以前の作品を楽しめるのかという不安もある。そう言いながらもしばらくすれば読みたくなるときがきっとくることはわかっている。次は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にでもしようか。