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笑われる and/or 笑わせる 『手鎖心中』

      2017/09/16

手鎖心中 / 井上ひさし / 文春文庫
手鎖心中 (文春文庫)

“人に笑われる”ことと“人を笑わせる”こととは違う、なる言葉を時々耳にする。その際この言葉には、“人を笑わせる”ことが上位で“人に笑われる”ことが下位だというニュアンスがある。芸人や役者などが、「おれは笑わせているんだ。笑われちゃいけない」とか、「笑われるのはばかでもできる。笑わせるのが芸だ」とか言ったりする。でもね、『手鎖心中/井上ひさし/文春文庫』を読むとその認識はそれほど正しくないんじゃないかと思えてきた。徹底的に人に笑われるってことも半端じゃできないんだよね。ここに登場する材木問屋の若旦那栄次郎は人に笑われたくて、どうしようもなく笑われたくて、自分の人生そのものを注ぎ込むんだから。“人に笑われる”ことを甘く見ちゃいけないのだ。

本書は井上ひさし初期の作品、1972年の第67回直木賞受賞作『手鎖心中』とその後の第1作『江戸の夕立ち』2編が収められている。時は江戸時代、大店の若旦那の放蕩が巻き起こす悲喜劇を、笑いのプロである戯作家あるいは幇間が語るという形式で両作品が通じている。

『手鎖心中』

人に笑われること、笑わせることを業とする材木問屋の一人息子栄次郎。戯作者を目指し、山東京伝にあやかりたくて京伝の真似をし尽くす彼の滑稽な姿を堪能したい。

「笑うものなら、石っころでも笑わせてみたいと思っていることだろう。石が笑ってくれるなら、自分の命、手前の一生、なんでも茶にしようというつもりの男だ。自分の躰から皮と骨と心の臓を残して、あとの血と肉と臓腑を、茶気とか茶番で入れ替えようというのさ」

江戸の戯作者が総登場。笑いと哀愁とが混ざり合った人情噺。

『江戸の夕立ち』

こちらはスケールの大きな冒険談。江戸の沖で時化に会い、東廻りの千石船に助けられたはいいが、釜石まで連れてこられた薬種問屋の若旦那清之助と幇間桃八の二人。帰ろうと思えばすぐにでも帰れるだろうに、浮世離れした若旦那と幇間の二人組となれば話は予想できない方向へ転がっていく。まさにローリングストーンズ。涙ぐましい二人の姿についつい笑ってしまう。あちらこちらで波乱万丈の人生を送る破目になり、ようやく帰り着いた江戸で見たものは。ほー、落ちはこうきますか。私はこの手の落ち、大好きです。

さて、作者は笑われたいと思っているのか、笑わせたいと思っているのか。そこのところはよくわからない。ただ、これら二つの作品が戯作家井上ひさしの決意表明みたいに読めてしまうんだよね。

 - 小説, 読書