春は昆虫記
2022/04/16
4月も半ばを過ぎた。突然寒気がやって来たりするが、春まっただ中である。
毎年春になるとゾワゾワと読みたくなって開く本がある。それはファーブルの『昆虫記』。本棚が整頓されていないので、昆虫記はどこに行ったかなと探すのが恒例になっている。この時期以外に読むことはなく、春限定書だ。
子供のころ、絵本版の昆虫記を喜んで眺めていた記憶が、それも家からけっこう遠い図書館の床にへたり込んで読みふけった記憶が、なぜか鮮明に残っている。そこに登場するのはフンコロガシやアシナガバチだ。特段虫好きでもなかったはずなのに、そんな場面だけ覚えているというのも何か不思議な感じがする。
それからずいぶん時間は流れ、今は岩波文庫(かつての20分冊版だ)をパラパラめくっている。絵と写真が少しあるだけで字ばかり。でも、文字を眺めているだけなのに、虫の動き回る姿が目に浮かんでくる。聖たまこがねが後足で糞の球をコロコロころがし、きばねあなばちが幼虫の食料としてコオロギをブスッと仕留める。ただ情けないことに、完読していない。1年前の続きから読み進めればいいのだろうが、なぜかそうはいかぬ。毎年々々スカラベからスタートするのである。
なぜ春になると『昆虫記』なのか。当たり前といえば当たり前かもしれない。啓蟄という絶妙な言葉もあるくらいで、昔から人は、暖かくなって地面から出てくる虫たちが気になる、さらに進んで愛着を抱くものなのだ。冬ごもりの虫が地中からはい出るタイミングで、脳のどこかに潜んでいた虫も動き出すのだろう。ちなみに俳句の4月の季語にも虫たちが登場する。蝶、虻、蜂、蜂の巣、春の蚊、春の蠅。やはり「春は昆虫」なのである。
春だなあと感じて昆虫記を開き、昆虫記を読みつつ春を感じる。毎年のこの既設の一こま。