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とてもいい評決が出たな 『検死審問―インクエスト』

      2017/09/16

検死審問―インクエスト (創元推理文庫 M ワ 1-1)『検死審問―インクエスト/パーシヴァル・ワイルド/創元推理文庫』はとても楽しいミステリでした。1940年発表の古典だからこそじっくり味わえたのかもしれません。ここではミステリとしての本質部分とそれ以外の部分とに分けて紹介してみます。一つの作品を二つの方向から読むというのもありでしょうし、それと版元の宣伝文「江戸川乱歩が絶賛し、探偵小説ぎらいのチャンドラーをも魅了した」と関連するのではないかと考えたからです。

人気作家ミセス・ベネットの70歳の誕生日を祝う集まりで死亡事件が発生します。そこに招かれていたのはどうも一癖ありそうな面々。事件の検死審問を担当したリー・スローカムは関係者の証言を集めるのですが、事件に関係あるのかないのか、陪審員も苛立ちます。様々な証言を積み重ねてスローカムが炙り出した真相は……。
事件の真相はおどろくほどのものではないのですが、いたるところに巧みに散りばめられた伏線が本格ミステリとしての一面を構成しています。検死審問といいながら犯人探しの話になるのですが(検死審問は死因を特定するためだけの裁判)、最後にはちゃんと検死審問ならではの落ちが用意されていて、思わずニヤッしてしまいました。

さてミステリ以外の部分、実を言うと私はこちらをメインに楽しみました。というのも、証人の供述がそれぞれとても含蓄があるのです、謎解きとは無関係のところで。私が特に気に入ったのは次の3点です。

  • 一つ目は芝刈り人ベン・ウィリットが語る「非情な刈り手の供述」。一流の芝刈り人として誇りを持って生きている、そして人生を楽しく暮らすことも忘れない、芝刈り歴53年のウィリットの姿に癒されます。

    芝刈り機をしっかり押さえて“ブーン”とうならせながら、ニレの木が生長したり、影が動いたり、足の下で地球がぐるぐるまわるのをながめているかぎり、人はまっすぐでいられる。

  • 二つ目は「名士の日記」。出版社を経営するピーボディーの日記には、今や大人気作家のベネットの作品がいかにくだらない小説なのかが延々と書かれています。一旦ゴミ箱行きになったベネットの処女作がひょんなことから出版されあれよあれよと売れていく。くだらないのに、いやくだらないからよく売れる。

    新しい化学書を出すときは、まず化学者の感想を聞く。経済関係の本を出すときは、経済学者の反応をうかがう。だから、三文小説を出版しようと思うなら―(略)―小むずかしいものはわからないから三文小説がいいという人たちの意見を聞くべきではないか、とね

    読者をよく見ろと言っているのか、本音はくだらない本が売れることを嘆いているのか。笑わせてくれます。

  • 最後の三つ目はベネットのミステリ批評。ベネットは探偵小説のお決りのパターンをさんざん貶したあげく、言い切ります。

    そんな小説(探偵小説)をわたしは認めません。

後で紹介するチャンドラーの『簡単な殺人法』にに通じるものがあります。
他にも気に入った話はいろいろあって、例えばスティックニーのきどった台詞がかっこよいですし、いっそのこと全体を通して「金(かね)の稼ぎ方解説」としてと読むのも面白いですよ。

この記事の始めの方で宣伝文に触れましたが、乱歩はミステリ本来の部分に、チャンドラーはミステリ以外の部分にどちらかと言えば感心したのではないかと推察しています。せっかくなので参考までにチャンドラーの小文から引用しておきます。

Without him(Hammett) there might not have been a regional mystery as clever as Percival Wilde’s Inquest, or an ironic study as able as Raymond Postgate’s Verdict of Twelve, or a savage piece of intellectual double-talk like Kenneth Fearing’s The Dagger of the Mind, or a tragi-comic idealization of the murderer as in Donald Henderson’s Mr. Bowling Buys a Newspaper, or even a gay and intriguing Hollywoodian gambol like Richard Sale’s Lazarus No. 7.
Raymond Chandler, "The Simple Art of Murder"(1944)

チャンドラーはこのInquestを“cleverなregional mystery”と評しています。cleverをどう解釈するか。ミステリのリアルさを提唱したチャンドラーのことですから、伏線の巧みさを褒めるたというよりも、ワイルドの物語が巧みなことを賞したのだと考えたいところです。

最後に、ワイルドが貧しい人たちを優しい眼差しで描いている点にも着目したいですね。続編"Tinsley's Bones"も刊行予定とのこと、待っています。

(本書は「本が好き!」を通じて東京創元社より献本いただきました)

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