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脳科学を哲学してみる『暴走する脳科学』

      2017/09/16

脳研究者が脳科学をちょっと哲学的に語る本はしばしば目にしますが(例えば池谷氏とか)、これは哲学者が脳科学の現状を哲学的に見てみようという一冊です。『世界一受けたい授業』の「アハ体験」やドラマ『MR.BRAIN』など、近頃なにかとスポットライトのあたることが多い脳科学、著者はそれが本当に妥当なものかどうか、人間に有益なものかどうかについて、専門家の立場からではなく一般的な視点から素朴で根本的な問いを検討していきます。その視点は以下の5点。

  1. 脳科学者がいうように、脳研究は、本当に心の働き(知性、記憶、道徳心など)の解明をもたらすのだろうか。
  2. それ以前に、そもそも、心と脳とは同じものなのだろうか。脳イコール心といってよいのだろうか。
  3. 脳を調べることで心の状態を読むこと、いわゆるマインド・リーディングは可能だろうか。
  4. 脳研究から得られる知識は、心に関するこれまでの考え方や自己観にどのような変更をもたらすのだろうか。人間の行動は脳のメカニズムによって決定されていて、自由などは幻想にすぎないのだろうか。
  5. 脳研究が、医療・教育・司法(犯罪捜査、裁判)などの分野に応用されると、どのような社会的インパクトをもち、どのような倫理的問題が生じるのだろうか。

読み進めると、心は脳の中だけにあるのではなく、身体の内部器官さらには外部環境を含めたトータルなシステムの中に成立していること(これを「拡張した心」と呼びます)、現在のマインド・リーディングはまだまだ不確かであることなど、新しい哲学や脳科学のエッセンスを知ることができます。そして二つのことに僕は怖さを感じました。

一つ目は、脳科学は「骨相学」と同じ道を辿らないよなということ。骨相学はガル(1758~1828)が主張した説で、脳は心的活動に対応する複数の器官の集合体であり、その器官の活動の違いが、頭蓋骨の形状や大きさに現れるとした説。現代の科学的吟味には耐えられない学説ですが、当時は大衆にも熱狂的に受け入れられ、性格判断、健康診断、運勢占い、果ては人種差別にも用いられました。今なら笑い話ですが、著者は今の血液型占いとの類似性を指摘しています。脳科学も未来の人の笑い話にならないよう慎重に取り扱っていく必要があるでしょう。

二つ目は、「心理主義」です。心理主義とは、自分の行動に関わる問題が生じたとき、常に自分の内面へと注意が向き、自分の意識や心を変えようとする傾向をいいます。心理主義の問題は、生じた困難の原因が自分にあると考え、環境因に目が向かなくなってしまうことです。例えばニート問題だとすると、その原因を若者の内部(怠惰だとかコミュニケーションスキルの欠如だとか)に押し付け、社会的・政治的な原因を脇においてしまう。脳科学が心理主義をさらに後押しすることになるとすれば、問題解決を遠ざけさらに深刻化させてしまうかもしれません。

以上、ちょっと後ろ向きになってきたので、あとは気楽な感想を。

本書では、自由意志と決定論とについてかなりページを割いてあれこれ議論されています。中では、

強い意志とは、いくつかの失敗にもめげずに、さまざまな仕方で目的を達成する試みをしようとする粘り強い態度を指す。強い意志は強い決意や強い心のエネルギーを意味する、と考えるのはやや素朴な発想である。

なんて素敵な言葉もありますが、自由意思については、僕が全面的に受け入れている池谷さんの名回答に尽きます。自由と感じていればそれで充分じゃないか、ごちゃごちゃ言って何かいいことがあるの?ってことですね。

最後にもう一つ。著者は、マスコミリテラシー、科学リテラシーをもっと高める必要がある旨のことを述べられています。このことは日本に限った話じゃないし、今に限った話じゃないはず。そうなると、人間は本質的にマスコミを信じ、科学を信じないのではないと思えてくるわけです。「真に合理的な人間」なんていないというのが正解なんじゃないかと。そんなことを考えていたら、面白そうな本『スーパーセンス ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている』を発見。こちらも読みたいですね。

暴走する脳科学~哲学・倫理学からの批判的検討~ (光文社新書)
暴走する脳科学~哲学・倫理学からの批判的検討~ (光文社新書)

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