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書評落語 『福千枚』(幸田露伴『努力論』)

      2017/09/16

「こんにちわー」
「だれかと思たら喜八やないか。戸口でうろうろしてんとこっち入り。どないしたんや」
「へえ、京都の親戚から千枚漬がぎょうさん届きましてね。せっかくなんでご隠居と一緒に一杯やるかな思いまして」
「それはうれしいな。千枚漬をあてに呑むのは大好きでな。遠慮のうよばれよか。ほんで酒はどこじゃ」
「その戸棚ん中」
「なんや、わしの酒を飲もうという魂胆やな。まあよろし。わざわざ私を思うて来てくれたんや」
「ほなよばれまっさ」
「はいはい、これぞ露伴の言う分福じゃな」
「なんです?ロハンノブンプク?」
ご隠居がちょうど脇にあった本を手に取ります。

努力論 (岩波文庫)

「幸田露伴の『努力論』という本や。その中にある「幸福三説」というてな、幸せになるためには三つの方法があると言うてはる。まずは「惜福」。手に入れた福は大事にせなあかん、無駄に使てはいかん。次に「分福」や。福は独り占めせんと周りのもんにも分けましょうということやな。あんたが千枚漬を分けにきてくれなはったやろ。せやから分福じゃ」
「なるほど、この漬もんが福ちゅうこってんな」
「そうや、おまはん大したもんじゃ。しかしな、いくら大事にしても分けてもそれだけではいつかは福を使い果たしてしまう。福を増やすことをせなあかん。それが「植福」、福の種をまいて芽が出て木になって実がなる。ここまでいけばどんどん福が手に入るっちゅうこっちゃ」
「こらええこと教えてもらいました。しかし何でっか、『努力論』?そんな努力やなんて、今時流行りまへんで。一攫千金。濡れ手で粟」
「あほなこと言いなさんな。努力に流行るもはやらんもない。甘いことばっかり考えてたら碌なもんにはならへんで。まあおまはんの言うように努力論ちゅうたら肩に力が入って堅苦しい聞こえるわな。人生論、幸福論と思たらええ」
「そう聞くとやさしい感じがしまんな。鬼が仏になったような」
「真面目にコツコツ働こうとしてる人が、もっと楽しくなってほしい、もっと幸せになってほしいという思いで露伴先生が書いたもんや」
「その分福以外にどんなことが書いてあるんでっか」
「まずは心持ちじゃ。

自己の掌より紅血を滴らすか、滑澤柔軟のもののみを握るか、此の二つは、明らかに人力と運命との関係の好否を語る所の目安である。

世の中が悪いだの周りのせいにしてはいかん。運命やと諦めてはいかん。自分の力で将来を切り拓かないかんちゅうこっちゃな」
「こらまた厳しいお言葉で」
「せやけど尤もな話や。ところでおまはん、さいぜんからモゾモゾしてるなあ」
「へえ、小便行きとなってきましてん」
「それがいかん。そういうのを気が散ると言いますのんや。片付けるものは片付けてきなはれ」

「あー、すっきりした」
「ええか、散る気はいかんで。張る気でないといかん。これにもちゃーんと書いたある。

先ず爲さねばならぬ事の方に取掛かって氣を順當にするが宜しいのである。そして一着々々に全氣でことをなす習を付けるのが肝要である。二ツも三ツも爲さねばならぬ事が有ったらば、其の中の最も早く爲し終り得べき、且つ最も早く爲さねばならぬことを擇みて、自分は此の事を爲しながら死す可きなのである、と構え込んで悠々乎と従事するが宜いので、そして實際壽命が盡きたら其の事の半途で倒れても結構なのである。全氣で死ねば、即ち尸解の仙なのである。


「こらまた小便するのも命がけ」
「そんなあほなことあるかいな。それくらいの心がけで気を張りなはれということや。ただ張りすぎたらあかんとも言うてはる」
「そりゃ心配ない。わて弛みっぱなしでさかい」
「ちょっとは張りなはれ。偉そうに言うて私もな、気が弛んだとき、自分の思うように行かんとき、自分のやってることが不安になったとき、この本を読み返します。これはええ本でな。背筋がスーとのびる」
「ご隠居がそう言わはんねやったら、さぞありがたい本なんでっしゃろな」
「そやな。他にもいろいろええことが書いたある。私も若い頃からこれを読んで、自分なりに努力してきたつもりじゃが、まだまだですな」
「ご隠居さんでもまだまだでっか」
「ああ、まだまだじゃ。

努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが眞の好いものである。

てな具合にはなかなかいかん」
「今日はたんとええ話を聞かしてもろておおきに。ほなそろそろ失礼しまっさ。残った千枚漬持って帰ろ」
「ほー、殊勝な心がけじゃ。惜福じゃな」
「ほなさいならごめん」

しばらくしてご隠居が外に出てみますと、向こうの空き地に喜八の姿が目に入りました。近寄ってみますと、地面に掘った穴にさっきの千枚漬を放り込もうとしております。
「喜八、何をしてますんや、もったいない。せっかくの千枚漬を捨ててしまうやなんて」
「捨てるやなんて滅相もない。福を植えてまんねん」

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