『月と蟹』をどうしたものかねえ 『ラットマン』
2017/09/16
直木賞も受賞されたことだし一度目を通しておこうかな、ということで道尾秀介を試してみることにした。受賞作を読めば良いのだろうけど、まずはその前に文庫で味見。文庫の中では最新刊の『ラットマン/道尾秀介/光文社文庫』を初道尾に選んだ。
タイトルの「ラットマン」とは見方によって人の顔に見えたりネズミに見えたりする多義図形のこと。予期によって知覚が変化しまうことの例として持ち出される。本作品を表すにはなかなか良いタイトルだと思う。
あらすじは光文社のサイトから(文庫版のはひどいので単行本のものを)。
姫川はアマチュアバンドのギタリストだ。高校時代に同級生3人とともに結成、デビューを目指すでもなく、解散するでもなく、細々と続けて14年になり、メンバーのほとんどは30歳を超え、姫川の恋人・ひかりが叩いていたドラムだけが、彼女の妹・桂に交代した。そこには僅かな軋みが存在していた。姫川は父と姉を幼い頃に亡くしており、二人が亡くなったときの奇妙な経緯は、心に暗い影を落としていた。
ある冬の日曜日、練習中にスタジオで起こった事件が、姫川の過去の記憶を呼び覚ます。――事件が解決したとき、彼らの前にはどんな風景が待っているのか。
最後の最後に置かれた状況(真相)や、そこまで謎を転がす書き方は上手い。読者を程よい不安に陥れるのでどんどんページをめくらされ、一気に読んじゃった。でもなあ、なのである。直木賞を獲るということはプロの作家さんたちも道尾氏の力を評価しているわけで、本作も各所で絶賛されている。でも、そんなにすごいか?というのが正直な感想だった。
繰り返しになるが、ミステリとしては読ませると思う。最後の二転三転はとても鮮やかだ。でも、昔のミステリを読んでいるような感じがするんだなあ。登場人物たちは駒のようで、読者を驚きの結末へ導くためだけに動かしているような。
そういう意味で引っかかったところをいくつか挙げておこう。
- たとえば、ハリガネムシに体内を食い荒らされたカマキリを見かけた姫川が、衝動的にそれを踏み潰す場面がある。これがわからない。作者がこの話を挿入した理由はわかる。姫川がこの行動をとった理由が分からないのだ。姫川にとってハリガネムシは何のメタファーなのか。無理やり挿入した感が漂う。
- 姫川は恋人の妹に手を出すのだが、普通しないだろそんなこと。姫川ってそんな男だったっけ。二人の関係を作っておかないと後々困るからといって、こう簡単に寝ちゃっていいのか?いけないことをいとも簡単にしちゃう。だから駒なのだ。
- ひかりがある人に会う場面はどうみても取って付けたよう。大事な意味があるにもかかわらず、こんな唐突な展開は伏線とは言わない。
総じて言えば、エンディングから前に向かって都合よく書いたんじゃない?って思えてしまう。だから筋は気になって追えるけど、読み終わったとたん「どうだかなあ」という感想がふつふつとわいてくる。期待していただけに、予想と実際との差が大きかったな。『月と蟹』を読むか、スルーするか迷うじゃない。