本を効果的に読むには「ストリーム」を明確にする
2012/12/23
本の読み方、読む本の選び方が変わるんじゃないかなという話。
どんな本を手に取るか、僕は漠然と興味のある分野で面白そうな本を選んで読んできた。大雑把ではあるが「テーマ」「領域」を意識しているとも言える。そのテーマは宇宙であったり生命であったり脳であったり。そんな読み方をしている人は多いのではないだろうか。でも、それじゃ勿体ないな、効率悪いよなということに今回はっきりと気付いた。
きっかけは、愛読サイトである松岡正剛氏の『千夜千冊』番外録の最新(3月13日時点)記事「河北新報のいちばん長い日」。ここにハッとさせられる箇所があった。
ちょっと長いが引用させていただく。
翌日もその翌日も何かを書かなくちゃという思いばかりが先行していて、まるで巨きな黒い翼をもった得体の知れないものに追われていた気分だったが、「千夜千冊」はブログ日記ではなく、一冊ずつ本をとりあげて書くのだから、本との出会いがなくてはならなかった。けれども1年前のあのころは地震の本か原発の本か、どちらかの本しか手に入らず、やっと新潟日報がまとめたドキュメント『原発と地震』(1406夜)を土台に次の緊急セイゴオ・ノートにとりかかったのだった。
それから数日間にいったい何冊の本に目を通したろうか。原発関連の本も含めざっと300冊はこえていただろう。いまでは書棚二棹ぶんが地震と津波と原発の本で埋まっている。
ぼくは混乱しそうになるアタマを整理しながら、3つのストリームが自分のなかで錯綜しているのを見た。
(1)この災害が東北を襲ったことについて、ずっと考えて行かなければならないだろう。それには蝦夷の歴史から今日の町村の現実まで眺め渡さなければならないだろう。
(2)国家と原子力のことについて、何らかの見通しと判断をしなければならないだろう。それには世界のエネルギー問題や環境問題まで見渡す必要がある。
(3)危難とリスクとその解消と保持の関係について、かなり深い問題を浮上させなければならないだろう。それには資本主義経済下の社会学や現代思想の根本をぐりぐり動かすべきだろう。
いずれも厄介な難題だ。が、ぼくは時間をかけてでもこの難問を考えていこうと思った。
ここで注目したいのは、「ストリーム」という捉え方だ。領域ではなく流れ。上記の引用の中で、松岡氏はあの大震災を理解するために3つのストリームを設定している。テーマを設定するだけでは不充分だし、漠然としている。ではテーマを絞って小さくするのかというと、そうではない。目指すポイントに向けての流れを作るのだ。核心を浮かび上がらせるような流れ。大事なのはこの作業なのだ。もちろん、どのような流れを作るのか、それを考えるところに力量が試されることになる。時間の流れかもしれないし、空間の流れかもしれないし、因果関係の流れかもしれない。そうやって流れを設定すれば、何をどう読むか、本の読み方が変わってくる。
あたりまえといえばそれまでなのだが、今回、松岡氏は手の内を大胆に、かつ目に浮かぶように明かしてくれているので、そのことを具体的に捉えることができた。これからはしっかりと「ストリーム」を練って本を読んでいくことにする。