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生命を求める面白対談 『長沼先生、エイリアンって地球にもいるんですか?』

      2017/09/16

長沼先生、エイリアンって地球にもいるんですか? / 長沼毅、ほか / 新潮文庫
長沼先生、エイリアンって地球にもいるんですか? (新潮文庫)

地球外生命は存在するか?以前は「この広大な宇宙のどこかにはいるんじゃないの」くらいの興味しかなかったのだが、『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』(併せて『自己組織化と進化の理論』)を読んで以来、地球外生物は絶対にいる!と当然のように思いこむようになった。うん、いるよ。それもすぐ近くに。

本書は、そんな衝撃を与えてくれた『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』の著者、辺境生物学者の長沼先生がホスト役を務め、日本未来科学館で行われた対談集。対談相手の選択が適切だったからだろう、気軽に読めてなおかつディープな話題満載なのである。面白い。ニヤニヤしながら読んでいたに違いない。

目次
第0章 エイリアンって地球にもいるんですか?(with 山田五郎、中川翔子)
第1章 エイリアンはひきこもり?(with 佐々木晶)
第2章 生物と生命のあいだ(with 福岡伸一)
第3章 生命は遊びだ!(with 池上高志)
第4章 茶の湯とエイリアン(with 千宗屋)

天文学、分子生物学、コンピュータシミュレーションの観点から繰り広げられるエイリアン話は楽しいったらありゃしない。

もともと地球の生命は、海の中で誕生したと言われている。つまり、水の中で水っぽいものが生まれたわけです。それでわれわれは、自分の身体という水と、周りの外界の水を区別するために、あいだに油の膜を張った。それを細胞膜と言います。だけどタイタンの場合、周囲が油の海だから、もう仕切りはいらない。そうなると、耐タンには細胞膜のない生命体がいるのかもしれない。地球の生命体の場合、細胞膜が生命の定義にも関わる非常に重要な特徴と言われているけれども、それがなくてもいいという意味で、タイタンの生命体を考えるのは面白いですよね。
― 佐々木晶

エントロピーが増大する方向が時間が流れる方向だというふうに考えると、生命はそれに沿って、いつでも少しずつ抵抗しながら自転車操業をしているんですが、やがては追い抜かれてしまう。でもその時点では次の動的平衡にバトンが渡されている。それは何も親が子供を育てるということだけじゃなくて、自分自身の分子が滅びて、環境に拡散されても、それは他の生命の中でまた渦をつくっているという意味ですけどね。
― 福岡伸一

僕はゆらいでいるところにこそ生命の本質があると考えていて、だからこの人にしてもあの人にしても、ただ単に規則だけで動くんじゃなくて、それに必然的に伴うゆらぎがあって、そこに生命らしさを考えようということなんですね。
生命の本質はそういう意味では、遊びだと思っているから。遊ばないものは生命っぽくないじゃないですか。
― 池上高志

第4章も一興。目次を見たときには、ちょっとミスマッチじゃないのと思ったが、なんのなんの。お互いがうまく話を盛り上げている。

生きているとは何なの?とか、植物と動物の違いって何なんだろう?とか、エイリアンというまったく異質なものを考えていきながら、じつは自分たちの存在の根源的なものにぶつかっていくのかなと。つまり何で生命って生まれたんだ?というところに結局話が行き着いて、そういうところからイメージが拡がっていく枝葉の部分にエイリアンみたいなものができたのかなと想像しています。
― 千宗屋

その他当然茶道の話もふんだんで、さすが道を極めた方、千宗屋恐るべし。

ちなみに、これらの対談は2006年に行なわれたもので、『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』が書かれたのはその後になる。なるほど『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』には本書で話題に取りげられた池上先生の動く油滴が取り込まれている。

さて、冒頭の「地球外生命は存在するか?」という話に戻ると、木星の惑星エウロパに生命がある可能性が高いそうだ。すぐそこじゃないか、とはいえ、ぼくの寿命があるうちにそれが発見されることはないだろう。だから手っ取り早いところで、 キュリオシティが何か見つけてくれないものかと期待が膨らむのです。

 - 自然科学・応用科学, 読書