『SOSの猿』は苦し紛れに書いたって感じ
2017/09/16
細部は面白いんだけどなあ。全体通してのストーリーは……、はっきり言っちゃおう、つまんなかったです。伊坂への期待は並大抵ではないので、そこんところかなりのバイアスを差し引く必要はあるんですけどね。
「細部は面白い」って言ったので、そのことについて少々。この作品にはモチーフ、テーマとして「孫悟空(西遊記)」「エクソシスト」「ひきこもり」「原因と結果」など多くの要素が盛り込まれている。
まずはこれらの中で、タイトルにもなっていることからして最重要と位置づけられる「孫悟空」、はてさて、これを持ちだしてきた意味がわからない。本作は『SARU』とのコラボということなのでそのためのものではあるのだが、それにしても無理矢理としか思えないんだなあ。早い話、猿がいなくても物語は成立するし、猿がいることで余計な描写が散らばることになっている。この強引なモチーフが全体を貫くキーワードだというところにこの作品の問題があるのだと思う。伊坂も苦しかったんだろうな、などど同情しちゃったりするのです。
それに引き換え、「エクソシスト」の部分は読み応えありましたね。ちょっとオカルティックな物事をどう理解するかってのは興味あるので。悪魔憑き、悪魔払いの何たるかをツボを押さえて書き込んでくれているので、エクソシストの概要を知るのに役立ったし、ひきこもりとの微妙な関連付けもある程度成功していると思う。
「ひきこもり」に関連しては、親に対する強烈なメッセージを抜き書きしておこう。
「眞人君が自分でそう説明したんですか」
「そうじゃないけど、それくらい分かるわよ。親子だから」
子供のことは分かります。親ですから。
自信満々に言い切る親には注意を払いなさい。それは、ロレンツォの父親が、教えてくれたことの一つだった。「分かる、と無条件に言い切ってしまうことは、分からないと開き直ることの裏返しでもあるんだ。そこには自分に対する疑いの目がない」
こんなディテールは伊坂らしくて、ぼくは好きだ。
「原因と結果」については、これを追求していくと高村薫があぶりだすような物語になるんだろうなと。
伊坂幸太郎の作品の感想だというのに、なんか雑駁なことしか書けなかったのが残念。読み手のレベルが低いということも考えられるが、そうだとしてもエンタテイメントなのだからレベルの低い読み手にも楽しめるものを期待したいところ。ひょっとして脱エンタテイメントを狙ってるのか?