すぐびん

読書や文房具のことについて書いてるブログです

検索

『日本人の法意識』現代法は日本人にあってないとつくづく思う

   

日本の法律と日本人の法律に向かう生活意識(無意識も含めて)とは悲しいくらいに「ずれ」ている。まずその「ずれ」ていることをちゃんとわかっておかないと前に進めんだろうが、と川島武宜は『日本人の法意識』で指摘した。それは一般人のみならず法の専門家に対しても向けられている。こんな状況じゃ、日本人に法(ここで法とは西欧流の近現代法のこと)なんてわかりっこないと本この書は言うのだ。

ずれとはどういうことか。本書は、まず知っておくべきは、「法」は「権利」とセットだということ。「法」と「権利」という二つの言葉は、西欧では同じ社会現象を別の側面から眺めた言葉なのだ。「法」によって保障された状態が「権利」、「権利」を保障するための規準、制裁が「法」。法は「権利の体系」と言える。

ところが驚くべきことに、日本人には「権利」の観念が欠けている。西欧では空気のような存在なのに、日本人の意識にはこの「権利」が不在なのだ。権利のなんたるかを知らないのに、法がわかるわけがないわな、ということ。でもこれって「ずれ」どころではない。

ここで現代法における「権利」とは、個人と個人とのあいだの社会関係に関して、一方の実力行使が抑制されていて、もう一方の行為が客観的な判断基準によって評価されるということ。こんな観念、昔の日本人にはなかった。明治までそんな言葉すらなかった。今もほとんどない。なぜないかといえば、長い長いあいだ家父長制に浸っていたからだ。広い意味で家父長制とは、とても強い力を持った権力者が、その他を支配する社会の形態。日本人の大多数は権力者の恩情にあずかることが生きるすべなのだ。だから個人の権利なんてものはさらさら思いもおよばない。

家父長制なんてこの現代にはないよ、とお思いかもしれないが、そんなことはぜんぜんない。例えば会社員や公務員が夏冬に手にする一時金は「賞与」とも呼ばれ、文字からすれば傭主の思し召し・恩恵等によって与えられているのである。そもそも終身雇用制自体が家父長制的労働関係だ。

このような、法はあるけど法がわからないというずれは明治期に生じた。フランス、ドイツから法の形だけを持ってきちゃったから。権利なんて知らない人たちに、権利が前提の法を持ってきたのだからずれないはずがない。でも明治の法を、間違いだ、なんて非難してはいけない。絶対いけない。明治の法典はとても大切なものだった。これらのおかげで列強の治外法権を撤廃させることができたのだから。独立と引き換えに「おかざり」の法を抱えることとなってしまったということだ。

以上のずれは家父長制の名残だから、そのうち解消されてくるかもしれない。ならば日本人も法に馴染んでくるかと思いきや、そうはいかないのだな。「ずれ」を生じさせる、ちょっとやそっとじゃ変わらない要因がさらにその先にある。それは、日本人は二元主義を理解しない、ということ。いやはやこれは根源的だ。

西欧の思想――宗教、道徳、ここでは法――には理想と現実とのあいだに対置というか明確な境界がある。経験的な現実とは別のところに絶対的な理想がある。理想と現実とのあいだにつねに緊張関係があって妥協はない。

しかし日本人にはこの区別がない。絶対的な理想というものを持たない。理想と現実とのあいだは常にあやふやで妥協が予定されている。本来理想であるはずの法を「なしくずし」的に変えていくし、法律は解釈によっていかようにでも結論できる、さながら「打出の小槌」となる。理想を現実に働きかけるのではなく、むしろ都合よくごっちゃにして「融通をきかせる」「手心を加える」ことが高く評価されるのである。そう、「大岡裁き」、これこそが日本人にとって美しい姿なのである。これはもう変えられない。どちらが良い悪い、進んでいる遅れている、の話ではない。そもそもそういうものだなのだ。

このような「ずれ」の例が、所有権、民事訴訟など個別に見てもたくさんある。所有権は本来あるかないかのどちらかなのに、日本ではあるようなないような状況にある。民事訴訟については、裁判で白黒つけるのはもちろん、裁定よりも調停を好む、などなど。こうなると、日本人に現代法はわかりっこないとつくづく思う。

本書は、普段は積極的に意識しない「法」というものをじっくり考える一冊だった。民法、法社会学の権威、川島武宜が、日本人の意識に沿って法を解説してくれているものだから、読んでいてストンストンと腑に落ちる。1967年刊とはいえ、川島が指摘する意識は、50年後の今でもあまり変わってないということだ。

最後に自分の意見を少しだけ。著者はこのずれを正していくためには意識を法に近づけていくべきだとのように書いている。でもそれはどうだろうか。いつまでも体に合わない服を着続けるより、いっそのこと体に合った服に着替えるほうがよいかもしれない。なんせ日本に絶対神はいないのだから。

 - 社会, 読書