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『日本の仏教』本来の仏教からかけはなれた5つの特質

   

平成25年の文化庁の宗教統計調査によれば、日本の仏教系信者数はなんと約8700万人だそうだ。この数字は宗教団体(法人、非法人)からの回答だから、本人の知らないうちに信者に含まれていることも多いと思う。とはいえ、個人的に「あなたの宗教を、しいてあげるとすれば何ですか?」という問われ方をされれば、案外この数字に近いのかもしれない。ようするに日本人の多くは仏教に少なくとも好意を持っている。

だが信者ともあろうものが、その教義、本来の教えを知らない(ここまで述べてきたことはぴったしぼくにも当てはまっている)。これは困ったことじゃなかろうか。仏教を理解している、さらに実践している人が極めて少数だなんて。そこで登場するのが渡辺照宏著『日本の仏教』である。

本書はズバリそのままのタイトルどおり日本の仏教を一望できる解説書だ。日本仏教の歴史、実態、各宗派の流れが丁寧に紹介されている。しかしその一方で、日本の仏教界に対する痛烈な批判の書となっている。なんせ、日本の仏教は「泥まみれ」なのだ。体をなしていないいないのだ。それはなぜか?

まず、日本の仏教は外来宗教であることをはっきり認識しておく必要がある。それもインドから中国を経由してもたらされたから、印→中→日と2回変換されている。だから日本に入ってきた時点――6世紀半ば、欽明天皇の時代――で、本来の仏教、釈尊(シャーキャムニ)の真の教えからかなりかけ離れた姿になっている。

著者によれば、仏教の本来の立場は、自利利他円満(自己と他人との目的の達成)と上求菩提下化衆生(上にむかっては理想を実現し、下にむかっては衆生を幸福に導く)である。そしてこの理念を達成する上での基本的な条項は、戒律(道徳的基準)、禅定(瞑想、静観)および智慧(宗教的叡智)の三つ。これを欠くものは仏教とは言われない。

ひるがえって、日本仏教の実態はどうかといえば、それらがほとんど存在しない。というのも、日本仏教の特質は、(1)国家思想、(2)呪術性、(3)死者儀礼、(4)妥協的精神、(5)形式主義の五項目で、これらはことごとくと仏教の本来の立場からはずれている。

少し細かく見ておく。

  1. 国家思想:インドやその近隣では、仏教は民衆のあいだでひろまっていった。一方日本では、社会の下層からではなくて、最上層部からはじまった。最初から支配者階級と結びついて発達したために、現在でも支配者、権力者、富めるものと密接な関係を保ち、その保護のもとに立つという受動的な態度が強い。
  2. 呪術性:仏教は本来、人間自身の能力を向上させることを教えとしている。しかし、日本では呪術的側面がとても強い。だから祈祷する。国家安泰から病気治しや商売繁盛まで。能力向上どころか、呪文で解決することになった。
  3. 死者儀礼:日本人にとって仏教との最大の接点はこれだろう。インド仏教では真逆で、葬儀はそもそも僧侶の関与すべきことではなかった。
  4. 妥協的精神:日本人は、神と仏とを同列に考え、昔も今も、神道と仏教とのどちらの儀礼にも参加する。このような妥協的態度は、信仰の熱意、真剣さを欠く傾向をかもしやすい。
  5. 形式主義:インド仏教の僧侶の衣は柿色の一色で、所持品も生活上必要な最小限度にとどめられていた。戒律を守るのは、自分自身の向上であって、他人に見せるものではないからだ。日本の僧侶は色とりどりの衣の上に金襴の袈裟をかけることさえした。また寺院は、見物人のために興行をおこなう場所とさえなった。

こうして、仏教の種々の道を捨て去って、ひたすら口でナムアミダ仏を唱えるという日本仏教が確立された。仏教の根本は、自己と他者との完成のための実践なのにである。

批判は個々の僧にも向けられる。本来の仏教を実践した僧を紹介し褒めたたえる。その一方で、開祖とされる有名な僧にも容赦ない。

わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとはすくなくとも私には納得できない。

忍性(補:学徳と慈愛とを兼ね備えた13世紀の名僧)が社会奉仕に身を捧げている事実を知りながら、これを公然と非難した日蓮には結局のところ本格的な仏教はわからなかったものであろう。

などなど。

以上のように、日本の仏教は「泥まみれ」なのである。外来宗教(思想)の形式だけ、上っ面だけを、自分たちの都合のいいように、使いやすいように取り入れる。このやり方は仏教だけにはとどまらない。

外来思想としての仏教が日本人にどういう影響をもたらしたか、日本人がどういう態度でそれを受けいれたか、またその外来思想をどのように変形させたか、というような問題は、ひとり仏教だけの問題ではない。なぜかというのに、たとえば、マルキシズムなり、キリスト教なり、アメリカ的民主主義なりに対して今後の日本人がどのような反応を示すかということは現に内外人の注目のまととなっているのであるが、その将来を予想するための鍵が、過去一千四百年の日本の仏教の歴史の中に見出されるはずだからである。

マルクス主義も民主主義も、きっちり仏教と同じ道をたどっている。1500年、日本人は変わっちゃいなかったのである。

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