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私的幻想こそ必要 『ミステリー倶楽部へ行こう』

      2017/09/16

ミステリー倶楽部へ行こう昔読んで書棚に眠っていた本をパラパラとながめていたら、とても良い文章が目に飛び込んできた。その本は、『ミステリー倶楽部へ行こう/山口雅也/国書刊行会』で、山口雅也氏がミステリマガジンなどに書いたコラム、エッセイを集めたもの。

その初っ端に「ミステリーの亡霊に」というエッセイがあって、小説のリアリティについて語られている。“貧しいリアリズム”はいらない、“私的幻想”こそ必要だ、という主張だ。長くなるが、とても為になったので次に引用させていただく。

僕は最近、貧しいリアリズムというやつに否定的な立場をとっている。ミステリーにおけるリアリズムとは何かと問われたら、それは幻想の中のリアリズムだと答えることにしてる。

ここで“貧しいリアリズム”とは何か。

僕が貧しいリアリズムと呼ぶのは、こうした最大公約数的な「現実」におんぶして事足れりとしている情けない世界観のことなのである。

要は、誰でも当たり前に認識できる現実なんて、小説のリアリティなんかじゃねえ、とおっしゃっている。では氏の良しとするリアリズムはどんなのもか。

そうなると、僕が考える優れた小説とは、もとより私的幻想をギリギリのところまで普遍化したものということになる。万人の共通領域の現実を取材してただ写しとっただけでは、ノン・フィクションと変わるところがない。ミステリーを読んだのか風俗ガイドを読んだのかわからないというのでは、あまりに寂しいではないか。

ミステリーはよく還元主義的に論じられる。トリックがすごいとか、解決の論理がいいとか。だが、そんな下位の項目以前に、彼ら(国内外のミステリーの巨匠たち)には確固たる世界観があった。作者の幻想の中では、こういう人物がリアリティをもち、彼らはこういう舞台に生き、こういう論理で動く---私的だが、構成要素が互いに緊密かつ有機的に関係を結び、外部からは崩しようのない世界。

こんな世界が作れたらいいな。

 - 小説, 読書