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制御装置に囚われていないか 『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』

      2017/09/16

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る / 梅森直之 / 光文社新書
ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)

『民族とネイション』でナショナリズムの基礎をざっと勉強したところで、次は佐藤優の薦める『想像の共同体』といきたいところだが、さすがに難解そう。ここは軟弱に『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る/梅森直之/光文社新書』にしてみた。大正解。『想像の共同体』とそれ以降のベネディクト・アンダーソンの思想を咀嚼して教示してくれるので、フムフムと納得しつつ、いろいろ思いを巡らせることができた。そして衝撃的なフレーズが登場する。

本書は、2005年4月に来日して早稲田大学で行われたベネディクト・アンダーソンの講演をベースに、著者がナショナリズムとグローバリゼーションとを解説した一冊。おおまかに次の3部から構成されている。

  • 第一部 ベネディクト・アンダーソン講義録
  • 第二部 アンダーソン事始
  • アンダーソンをめぐる14の対話

第一部はベネディクト・アンダーソン来日時の二日間にわたる講演を起こしたもの。前半では、自分の生い立ちや研究遍歴(アイルランド人の父とイングランド人の母を持ち、カトリックとプロテスタントとが混在し、イングランド-アメリカ-インドネシアで研究する)を赤裸々に披露しつつ、それを通して『想像の共同体』執筆に至った経緯が紹介される。さらには『想像の共同体』の自己批判を加える。後半では、アジアのナショナリズムとアナーキズムとをグローバリゼーションの観点から論じている。後半は少々複雑で退屈な場面もあるが、アンダーソンご本人の明快な講義として貴重だ。

第二部は『想像の共同体』におけるナショナリズムと、それを発表した後のアンダーソンのグローバリゼーション観の変化が梅森氏によって解説される。この中で「均質で空虚な時間」「出版資本主義」などといったアンダーソン独自の道具が説明されていて、それはそれで勉強になるのだが、ここでは僕にとっての最大の収穫を紹介しておこうと思う。

まず、国民(例えば日本人)とは何かを考える際、二つのアプローチがある。一つはあるものごとを特質から説明する「本質主義」、もう一つはものごとを作られるなにものかとして捉える「構築主義」。アンダーソンは構築主義を採る。したがって国民は作られたもの、想像なわけだ。
一方で、「国民」は強固なアイデンティティと思われている。ではアイデンティティとはなにか。それは「文化」と個人とをつなぐ「インターフェイス」、すなわち行動を支配している「制御装置」だと捉える。すると、確固としたアイデンティティを一旦作ってしまえば、行動は自然と決められるのでラクになる、しかし不自由だ。もし「自由」が欲しければ、アイデンティティをという制御装置をはずさなければならない。

本質主義は、けっして「誰か」を深く理解することにはつながっていかない。「本質」とは、僕たちが「誰か」を理解する努力を放棄して引き返した場所に立てられた白旗のようなものだ。

そうか、僕はこれまでたえず白旗を揚げるながら生きてきたんだと気づかせられる衝撃のフレーズだった。辺境のナショナリズムに囚われないようにするにはどうすればよいのか。アンダーソンは「言語」がその一つの鍵になるといっているが、さらに具体的には自分で考え続けるしかなさそうだ。

読むほどに様々な気づきを与えてくれる高密度の一冊。

 - 社会, 読書