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創造的な読書論 『読んでいない本について堂々と語る方法』

      2017/09/16

読んでいない本について堂々と語る方法 / ピエール・バイヤール(大浦康介 訳) / 筑摩書房
読んでいない本について堂々と語る方法

前々から気になっていた『読んでいない本について堂々と語る方法/ピエール・バイヤール(大浦康介 訳)/筑摩書房』をようやく読んでみた。僕は、読んでいない本について語るつもりはないけれど、堂々と語れるようになればいいなと読んでみたわけ。豈図らんや、中身は「読書とはなにか、本を読むことが読書ではない」ということを説いた逆説的な読書論だった。

著者は、読書至上主義を懲らしめたいというか、教養ってのは本を熱心に読むことじゃないんだよと言いたいようだ。教養というのは「さまざまな書物のあいだの「連絡」や「接続」」のことであり、重要なことは「文化の方向性決定づけている一連の重要書の全体」であり、個々の書物は「すべて<遮蔽幕としての書物>であり、この無限の書物の無限の連鎖のなかでの一つの代替要素」であると説く。要は、自分個人の中でリンクを張り全体像を構築しなくちゃ意味ないよ、と言っているのだ。僕が思うに、情報が全くなければ全体像なんて描けないので、流し読みでも他人がまとめたエッセンスでも充分だと言いたいのだろう。ただし、このようなことを凡人に求めているのではない。教養人に求めているのだ。

もちろんタイトルに従って、読んでいない本について語るにはこうすればいいよ、ってこともちゃんと書かれている。でもそれは大変なこと、多大な能力を要することなのだ。上に述べたように、個々の書物の位置づけを明確に把握していないといけないのだから。読んだ本について語ることのほうがよっぽど簡単だということがわかった。

なるほそうなんだよなあと考えつつ、一方で著者の説にしっくりこない、違和感も感じる。本を読まなくてもそれについて語れるとして、語るためには本が書かれなくてはならない。なぜ本を書くかといえば、自分の意見を主張するためと同時に、読んでもらうためなのだ。語られるために書くのではないということ。そう、本は語るのもではなく読むものなんだ。
本を読めば教養が身につくというものではない。教養はそんなところにはないから。でも本を読んで愉しむのはありだと思う。僕は、語るために読むのではなくて、愉しむために読もう。そとのところがはっきりしたのは本書から得た収穫だ。などと語っているのは矛盾かな?

念のため付け足しておきますが、この記事、読んでから書いてます。

 - 人文, 読書