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絶滅危惧種を救いたければ絶滅危惧種に関心を持たせるな『霊長類 消えゆく森の番人』

      2017/11/13

長野地獄谷で温泉につかっているサルたちを見ると、なんかほのぼのしてきます。気持ちええんやろうな、とか想像したりして。そんなニホンザルを含めて霊長類にはなにか親近感のようなものを抱かずにはいられない。DNA的にヒトと親類だからかもしれないし、サルが身近な存在だからかもしれない(先進国でヒト以外の霊長類が生息しているのは日本だけ!)。

ところが悲しいことに、彼らの多くが絶滅の危機に瀕している。うすうすは聞き知っていたけれど、『霊長類 消えゆく森の番人』で生々しい現実を見せつけられると、その状況はかなり深刻なのだ。『霊長類』は、アフリカのゴリラ、ボノボ、チンパンジー、アジアのオランウータンなど大型類人猿をメインに取り上げていて(なんて魅力的なやつらなんだ)、彼らの危機をレポートしている。この
うちゴリラとオランウータンは3ランクある絶滅の危険度のうちもっとも危険なレベル。霊長類全体でみると60%が絶滅の危機にあるという。

ゴリラやオランウータンが絶滅だなんてやっぱ悲しいよね。絶滅ですよ。二度と現れない。ネアンデルタール人はもう現れない。人間が滅ぶ前にサルが絶滅しちゃったりしたら、「猿の惑星」なんてマジありえないですから。

過去、地球上の生物の99%は絶滅したとか、強いものが勢力を広げていくのが自然だとかあるかもしれないけれど、それはそれ。今、目の前で、それも自分たちの手で滅ぼしてしまったとしても、それが生物界の掟だ、なんて言い捨てられますかということ。

で、ゴリラたちの絶滅を防ごう、保護しようとなるわけだが、そうすると「人間とゴリラとどっちが大事なんだ(当然人間だろ)」という意見が出てくる。絶対出てくる。ここで「共生が大事だ」なんてエリート的回答は通用しない。さらに、声高に保護を叫んでも逆効果。敵対心を煽るだけ。それならばと逆らう輩が必ず出てくる。そこで状況を整理して対策を考えてみた。

『霊長類』によれば、彼らを絶滅に追いやる原因は様々なのだが、それらはザクッと三つに分類できる。一つは切実な食糧問題、一つは貧困問題、経済問題、一つは単なる興味本位の問題。

このうち興味本位の問題というのは、ペットや見世物(含動物園)目当ての捕獲、殺戮だ。これらへの対策は、多くの人に霊長類への関心を失わせることだ。下手に関心があるから需要がある。関心がなくなれば霊長類のニーズが減り、うまみがなくなるから密猟、乱獲は減る。

残りの二つはどうするんだ。これらに対しては、上とは逆に、一部の人に絶大な関心を持ってもらう。なぜなら強い信念を持って、ゴリラたちの保護とは別の領域で解決しないといけないから。その領域とは技術、あとひょっとすると政治。増え続ける人口を養うために農地を広げる、タンタルを採掘するために鉱山を掘る、パーム油を採るためにアブラヤシのプランテーションを拡大する。それらによって霊長類たちは住処を追われる。たとえばタンタルは携帯電話やパソコンなどのコンデンサに使われているし、パーム油はマーガリン、インスタント食品やスナック菓子、石鹸、洗剤に多用される。わたしたち全員が絶滅に加担しているんですな。じゃあ携帯やめますとか、油使うのやめますとかならないでしょ。絶対無理。ならば環境への影響がもっともっと小さい食糧やコンデンサや油を開発するしかないでしょ。絶大な関心をモチベーションにして革新的技術を開発する。生半可な関心なんてなにも解決しないですよ。

さて、まったく関心を持たないか熱狂的な関心を持つかのいずれかと言ったけれど、そのどちらにも入らない立場もあるにはある。それは静かな関心をよせること。本書で紹介されている『ゴリラの季節』(ジョージ・シャラー)、『霧のなかのゴリラ』(ダイアン・フォッシー)、『森の隣人』(ジェーン・グドール)を開いてみるのもいいかもしれない。ゴリラやチンパンジーへのほっこりした愛着が湧くだろう。ただしこの類の関心は毒にも薬にもならない。ぼくはこれでいく。

霊長類 消えゆく森の番人 (岩波新書)

霊長類 消えゆく森の番人 (岩波新書)

  • 作者:井田 徹治
  • 出版社:岩波書店
  • 発売日: 2017-05-20

 - 自然科学・応用科学, 読書