神々しい光 『罪と罰』
2017/09/16
ちびりちびりと読み進め、ようやく『罪と罰/ドストエフスキー(工藤精一郎訳)/新潮文庫』を読了。この歳になって、はじめてのドストエフスキーである。
小学校から中学校へ上がる頃だったと思うが、親がおそらくなけなしの金をはたいて世界文学全集的なものをあてがってくれた。東西の名作と呼ばれているものが30~40冊並んでいた。不肖の息子はそのほとんどに手を付けることがなかった。当時(そして今も多分に)小生は、本嫌いではなかったが、文学嫌いであった。以来、古典文学に食指を伸ばすことはなかったし、それが劣等感にもなっている。ちなみに、小説の類を読めるようになったのは大学生になって『吉川三国志』を読んでからだ。「大学生にもなって『三国志』かよ」とバカにされるに違いない。
ただ、今言えることは、古典の名作なんてものはそれなりに歳を食ってからでないと楽しめないのではないかということだ。一例を挙げれば、中学生あたりが漱石の『吾輩は猫である』を読んで面白いはずがない。今回の『罪と罰』でもよいが、これを中学生や高校生が読んで感動したとすれば、その人は(文学に関しては)天才だと自慢してよい。
さて『罪と罰』である。本作品はエピローグが主題だと読んだ。エピローグが一番わかりやすく感動的である。眼前に光が射すかのごときだ。しかしその光を感じるためには、それまで延々と語られる陰鬱な物語を通り抜けてこなければならない。だから、途中で放り出してはいけない。がんばって読み進め、後半(下巻)に入れば俄然面白くなる。ポルフィーリイがラスコーリニコフを追い詰め、スヴィドリガイロフがドゥーニャを口説き、あとは一気にエピローグにたどり着ける。聖母ソーニャの素晴らしさを満喫していただきたい。
読み終えて気がついたが、ラスコーリニコフがソーニャによって救済されたのに対し、スヴィドリガイロフはドゥーニャに救済されなかったから自らの命を絶ったんだよな。
小難しいことはわからんが、それでも楽しめる小説である。がんばって読んでよかった。古典を毛嫌いしてはいけないね。