『カラマーゾフの兄弟』を読破する、とても簡単な読み方
2022/04/09
昨年末から読み進めていた『カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー、原卓也訳/新潮文庫』、ようやく読了。やればできるもんだ。これでぼくも「『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人」の仲間入りができた。『カラ兄』ってこんなに面白い小説だったんだ。
『カラ兄』を読んでみたいと思っている人は大勢いるに違いない。たとえば、光文社の新訳文庫が全5巻累計で100万部を越えたそうだから。ところがこの光文社文庫でみると、第1巻に対する第5巻の部数比、すなわち最後までたどり着いた人は多く見積もって50.8%なのだ。購入だけで半数の人が脱落していることになる。惜しい。それほど『カラ兄』はハードルの高い小説なのだろう。
そこで、身の程知らずも甚だしいが、完読した文学素人が『カラ兄』を楽に面白く最後まで読む方法を提案してみる。私はこの方法で『カラ兄』読破に成功した。
なぜ『カラ兄』を読むのか
まずはじめに、なぜ『カラ兄』を読むのかを考えよう。読む目的をはっきりさせると、読み切る覚悟ができるからね。
ぼくの場合は、はっきり言って「自己満足」だ。世界文学の最高峰と評される『カラマーゾフの兄弟』、そんなにすごい小説とあらば、生きてる間に読みたいじゃない。読んだら読書人として違うレベルに上がれそうな気がするじゃない。そんな感覚を私が言おうと思ったら、すでに村上春樹が言ってた。
「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」
― 村上春樹
そう、ぼくは「『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人」になりたかっただけなのだ。
あなたが、『カラ兄』に対して同じような思いをいだいているなら、以下の方法は役に立つだろう。
『カラ兄』は難しいのか
世間一般に、「ドストエフスキー=難解」なる通念があるようです。ロシア文学者がいまだにあれこれ考察を加えているのですから、ある面それも正しいのだろう。しかしだ、一方で、「そんなに難しく考えなくても、まずは最後まで読んでしまえばいいんじゃないの?」という考え方も許されるはず。『カラ兄』は正真正銘難解な哲学書でもなければ、宇宙物理学の論文でもない。広く支持されてきた「小説」なのだ。だから、意味のわからないところは読みとばして、まずは「小説」を楽しんでみようじゃないか。難解だとかそんな言葉に耳を貸してはいけない。まずは読みきることがゴールなのだから。
そのために、いきなりだがキリスト教にかかわる箇所はスッパリと切り捨てる。「ええーっ、キリスト教、神の信仰がこの作品の大テーマじゃないのか!そんな大胆なことして大丈夫なのか?」。はい、大丈夫です。どだい、キリスト教信者でもない、キリスト教文化圏で暮らしてもいないぼく(フツーの日本人)にとって、キリスト教に関わる考察なんてどうでもよいことですし、理解できるわけありません。そんな無理なことに挑もうとすると『カラ兄』は通読できません。だから、本作の山場の一つ、大審問官についてだって、「ふーん、イエスって肝心ことはなんにも解決してくれなかったのね」って程度にかたづけてしまう。それでも『カラ兄』は充分に面白いから。
ついでに、ロシアの社会風俗の知識なんてもっと不要。人間なんて時間空間が変わっても同じようなもの。そうでなれば100年以上にもわたって、世界中で読まれるはずはありません。
なお、ここで切り捨てたものは、読後に解説書で学習することが可能だし、そのほうが解説書もグッとわかりやすくなります。それについては、また別の記事で。
とても簡単な二つの読み方
『カラマーゾフの兄弟』において最も重要な要素である神、宗教の部分を骨抜きにしてしまったので、残されたプロットを楽しむことになる。ここではとっつきやすい「人間模様」と「ミステリ」との二つのプロットを追いかけながら、『カラ兄』を楽しんでみよう。
「人間模様」を読む
『カラ兄』に登場する人物はみんなとても魅力的。ただし、日本人からしてみれば、かなりアンプリファイされている。とにかくみんなうるさい。どなりすぎ、叫びすぎ、泣きすぎ。そんな中で、当然のように4人の男と2人の女に注目することになる。なお、ぼくは中年の男、その感覚で語るので悪しからず。
まず4人の男、カラマーゾフ家のフョードル、ドミートリイ、イワン、アリョーシャについて(ここでも大胆にスメルジャコフは脇においておく)、この中で自分は誰に当てはまるかな、という視点で読んでいく。彼らにはそれぞれ、欲、浅はか、知性、愛、のようなラベルが付けられている。しかし一方で見方を変えると、この4人って、自分ひとりの中に棲んでいるキャラクタにも思えてくるのだね。4人合わせて「カラマーゾフ」なのだ。スケベなときもあるでしょう、金に汚いときもあるでしょう、後先考えず豪快に振舞いたいときもあるでしょう。でもそれだけじゃ悲しい、知性も欲しい、優しい心も持ちたい。おじさんなら、カラマーゾフ家の4人を見ながら、「そうそう、そうなのよ」と彼らそれぞれに愛着を感じ納得すること間違いなし。女と金に涎を流すお下劣なおっさんフョードルなんて、とてもかわいいおっさんに思えてきて、殺された場面では寂しくて悔しくて、涙を浮かべるはめになる。
次に2人の女、カテリーナとグルーシェニカとについて。彼女たちはそれぞれ淑女と小悪魔の役回り。カテリーナは気高いお嬢様のようで、時に手の付けられないヒステリーをおこす。グルーシェニカは男を手玉に取る悪女のようでありながら、素直で愛らしい姿を垣間見せる。あなたならどちらの女性が好きかな?ちなみにカラマーゾフ一家の男たちは、2対1でグルーシェニカに軍配を上げた。男ならやはりグルーシェニカに狂ってみたいといったところだろう。
「ミステリ」を読む
『カラ兄』は父親殺しの物語だから、まさにミステリそのもの。遠慮無くミステリとして読もう。ミステリ好きならやめられなくなること必至。実際、ぼくのページ捲りが最も速かったのは「第十二編 誤審」。ここまで辿りつければしめたもの。もう気分は法廷ミステリなのだ。さしたる証拠もなくありきたりの心理学論を熱弁する検事フェチュコーウィチと、それをことごとく覆す弁護士イッポリートとの対決、そして陪審員が出した最終判決は……。白熱の法廷ミステリを存分に楽しもう。
さて、法廷の場面を通り抜けると、ゴールは目の前。ゴールテープとして何とも思わせぶりなエピローグが待っている。
「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう!カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。
とうとう読みきった、読破した。まさに「カラマーゾフ万歳!」なのである。
さあ、後は「カラマーゾフ」にどっぷりはまるだけ。翻訳はどれも立派なはず。私は直感で原卓也訳を選んだ。
こちらもいかが ドストエフスキーの本