ナショナリズムの罠にはまらないために 『はじめての宗教論 左巻』
2017/09/16
はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学 / 佐藤優 / NHK出版新書
無宗教の僕としては、なかなか宗教というものを肌身に感じることができないし、理解するのも難しい。そこで試しに『はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学/佐藤優/NHK出版新書』を手に取ってみたのだが、これが意外と(失礼)面白かった。これが一般論かどうかは判断できないが、少なくとも佐藤説はわかりやすく解説されている。宗教・神学、そして近代のあらましを学ぶのに役立つ手頃な一冊だった。
あとがきに本書の位置づけが述べられている。
日本人が新自由主義の罠から脱出する過程で、ナショナリズムという別の罠にはまる危険を避けるために不可欠なのだ。本書はこのような目的意識をもった実用書なのである。
いきなり余談だが、この「実用書」の部分は佐藤氏の持論。『ぼくらの頭脳の鍛え方』でも立花氏が教養は役に立てるものではないとするのに対し、佐藤氏は実用の学問だと反論していた。
ということで、本書は宗教・神学とナショナリズムとの関係を主題としているわけだが、ここで主役となるのはシュライエルマッハー、近代プロテスタントの父とされる神学者だ。彼の最大の業績は、神は「天上」ではなく「各人の心の中」にいるとしたこと。この解釈によって、プロテスタントと啓蒙主義とを実にうまく折り合いをつけることができた。すなわち宗教と自然科学とが共存できるようにしたわけだ。
このこととナショナリズムはどう結び付くのか。ナショナリズムはまさに近代を生んだ思想で、民族、言語、国民が一体となった国民国家を誕生させた。ナショナリズムのおそらく最大の問題は「敵」が必要なことだ。正、善である自国と誤、悪である敵国とが対立する構図が要る。
ここでシュライエルマッハーが登場する。神を「各人の心の中」に降ろしたので、人間の自己絶対化の危険をはらむようになった。かくして神は民族の中にある、民族が受肉することになり、民族ごとに神が乱立し反目しあうこととなった。神がナショナリズムを支援してくれるのである。その結果は二つの世界大戦、現在の世界情勢となって現れた。
さて、著者のナショナリズム論はヨーロッパなどには適用できるとして、キリスト教徒は無関係の国々(例えば日本)はどうなのか。そこのところがよくわからなかったのは残念な点。現代はどこを見ても強烈なナショナリズムの時代。もうすこし勉強してみようと思う。