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『言葉の箱 小説を書くということ』最良の辻文学入門

   

辻邦生を読むなら、まっ先に『言葉の箱』を読むべきだ。ぼくが言っているのではなく、辻邦生をよく知る学習院大学教授の中条省平氏が、最良の辻文学入門として推奨してらっしゃる。識者のアドバイスに従うのはかなりの確率で良策だ。

『言葉の箱』には、辻邦生の文学論、文学に対する信念、文学者としての心構えが記されている。サブタイトルが『小説を書くということ』とあるように、自分に続く小説家たちにこれだけは肝に銘じておいてほしいことを強く優しく語りかけてくる。そしてそれは小説を書く人に限るものではない。読む者にとっても貴重である。

本書から、二元論的で観念論的な見方、考え方を辻邦生はしているのかな、というニュアンスが伝わってくる。たとえばこうだ。

秩序をつくり上げることが芸術の目的で、日常のぼくたちの現実は、いわば秩序に対する混沌としたもの、形はあるし、刻々と偶然の様々な要素によって変わってはいくけれども、最終的にはそれを乗り越えて、それを秩序づけることが芸術の仕事であり、それが美というもののあり方なんだということを、説明抜きに、そのときの直観で感じましした。

ぼくは、初めに、自分たちの経験、知っていることを日常のスタイルで書いていくのは本当につまらないと言いましたけれども、そういうことがつまらないのは、いま言ったような、現実のコピーそのものは何ら生きる意味を伝えてくれないからで、何ら人生を輝かせてくれる、勇気を与えてくれるものをもたらしてくれないからです。

そこまで突き詰めていくと、ぼくだけの、ぼくこっきりの、だれとも共通点のない世界が、いま現れているんじゃないかと思ったわけです。

自分の知っている世界ではなくて、「自分の好きな世界」、あるいはこの世から一段と高い、好ましいものに満ちた世界をイマージュとしてつかんでいく。それがしだいに、ぼくたちの日常の退屈であったり、不幸なものに満ちていたり、モノトーンだったり、無感動だったりという現実を超えて存在して、現実に対して絶えずそれが力を与えてくれる。

こんなラベリングはたいして意味はないんだけれど、辻邦生作品に向き合うときの心構えくらいにはなりそうに思う。

月並みで恥ずかしいのだけれど、やはりグサッときた人生訓も抜き書き。

いいですか。このことを忘れてはいけません。あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね。一回こっきりですよ。二度も三度も生まれてこないんですから、一回こっきりの大事なきょうのこのときだと思うんですよ。こんなに大事なときに、あしたもあればあさってもあれば、きのうもあったし、きょうなんてどうでもいいや、ではダメなんです。この一回こっきりの自分というもの、自分のいまの世界を本当に大事にしてください。

あとは、この本と巡り合ったいきさつを少々話しておこうと思う。

発端は極東ブログで『背教者ユリアヌス』を知ったことだ。そこでfinalventさんはお気に入り作品だというようなことが書かれていた。そうか、読んでみるか。ただ、そのときぼくは辻邦生のことを、その名前すら知らなかった。はたしてどのような作家なのか。サクッと調べてみた。1960〜90年代に活躍された方で多作、全集も刊行されている。辻邦生を知らないことは結構恥ずかしいことだったんだなと気づく。そして一層読みたくなった。ただ、『背教者ユリアヌス』は文庫上下2巻とかなり大部なのだ。いきなりこれは苦しいか。さてどうしたものか。

そうこうするうちに、毎日新聞の「今週の本棚・この3冊」に「辻邦生」とあるのを目にした。辻邦生の3作品が紹介されていて、その選者が前出の中条省平氏だ。選ばれた3作品は、『言葉の箱 小説を書くということ』、『安土往還記』、『季節の宴から 辻邦生第四エッセー集』で、まずは『言葉の箱』だよとあった。ここにきてようやく『言葉の箱』に出会ったわけだ。そして読み、アドバイスが的確だったことを感謝した。

中条さんに倣えば、次は『安土往来記』である。

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